禅物語:小僧と水

中国の古都杭州と言えば、多分ほとんどの人はすぐ美しい西湖が頭に浮かぶでしょう。その西湖より市中心からやや離れた郊外の山に、ある千五百年以上の歴史を誇るお寺「霊隠寺」があります。

私は霊隠寺に訪ねたのは、8年前のことでした。その時に読んだお寺の看板に書かれた一つの禅宗物語が、とても印象に残っています。

こんな物語です。

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ある和尚さんが小僧に一つのお碗を渡して、村の向こうにある井戸から水いっぱい をもらってくるようにと命令した。それに、水はお碗から一滴も零さないようと念を押した。小僧は、井戸から水いっぱいをもらって、お寺に戻る途中、水を零さないようにと、両手は力強くお碗を持って、横見もせず、お碗の水にだけ集中して、十分に気をつけながら歩いていた。しかし、そんな小僧は、なぜか足元が石にぶつかったり、手が何かで振れたりして、水を少しずつ零してしまった。和尚さんのところに着いた時、お水はお碗の半分しか残っていなかった。

次の日、和尚さんはまた小僧にそのお碗を渡して、村の向こうにあるあの井戸から、またいっぱいの水をもらってくるようにと命令した。しかし、今回は、和尚さんは小僧に帰り道に村の様子を観察して、村に起きた新しい出来事を後で報告するようにと付け加えた。小僧は、井戸から水をいっぱいもらって、帰り道に左も右も色々見ながら、お寺に戻った。和尚さんに村の様子を報告しようとしたが、和尚さんは、「お碗の水を見なさい」と小僧に言った。小僧は、自分の手に持っているお碗を見たら、何とお水が満杯で一滴も零されていないと気付いた。

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恐らく経験上は、誰もがこのようなことを体験したことがあるでしょう。ある成果をどうしても達成したいとき、どうしても失敗から免れたいとき、なかなかその通りに行けず、それに対して、それほど気をつかわない時に、それほどその結果に拘っていない時に、意外と物事がスムーズに進む。どうしてそうなっているのでしょうか。その後ろのロジックや法則は一体どんなものなんでしょうか。

この謎を何年間も解けなかった私は、引き寄せの法則を少し勉強した後、自分なりに解釈してみた。引き寄せの法則によると、自分の出した波動は現実の出来事を呼び寄せる。どうしても失敗を避けたいときに出した波動は、不安の波動で、心配の波動で、失敗の波動であり、失敗を呼び寄せます。こう言う時、むしろ、少し自分の集中点を他のところに転換した方が、その成功の邪魔にならずに済むということではないでしょうか。

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時には、結果に拘ってガリガリ頑張るよりは、やるべきことをやりながら、結果に関して手放してゆとりを持った方が、かえって簡単に素晴らしい結果を手に入れることができるというのは、この禅物語から私が会得した教えです。

知恵東西

ニューヨーク在住。中国 (C)、アメリカ(A)、日本(N)で学んだこと、考えたことを思うがままに綴る。

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